2015-11-7 (Sat)
という訳でいままでずっとスルーしてきたフィード生成つーやつをやってみることにした。 RSS 1.0、RSS 2.0、Atom 1.0 と互換性のない規格が複数あるんだが (古い版は選択肢から除外)、 生成するのもチェックするのも自分なので規格に沿ってさえいりゃいいや、 という感じで最後発と思われる Atom 1.0 を選択。 で、どの Perl モジュールを使えばいいのかぐるぐる情報を漁ってみたが、 なかなか決定版 (?) の情報が見つからない (もちろん探すのは日本語の情報のみ)。 結局素直に XML::Atom を使うことにして、 参考サイトと首っぴきでなんとかエラーを吐かずに XML ファイルを生成するところまでこぎつけ、 仕上げに W3C の validator でエラーと警告がなくなるまで手直しして完成。 といっても文法的にはともかく内容的にこれでホントにいいのかは若干不明…。 ま~たぶん大丈夫だんべ。
さて、Atom フィードの生成の仕方もなんとなく分かったし、 そのうちこのサイトもフィード生成するよう改造してみようかなァ。 微妙にめんどくさそうだけど。 あと誰が参照するんだってのもあるけど。
ちなみに、昔働いていた会社の初代社長 (故人) の下の名前は知らない人には絶対に読めない読み方だったりする (一見有りそうだけど、どう調べてもその字をそう読む例は出てこないというレベル)。 …しかし考えてみると、元からそういう読み方なのか、自分でそう変えたのかは不明だなァ…。 あの御仁のことだから、ひょっとすると自分で読み方を変えたなんて可能性もあるかもしれないな~。 根拠はなにもないけど。
…ワシも下の名前、読み方ちょっと変えてみようかな~。なんとなく。 まァしかし、自然に読める範囲だとあんまし読み方のバリエーションがないんだよな~。 かといって字面からあまり離れた読み方では運用がメンドくさそうだしなァ。
まあそんなところだろうな~。最後に、彼女らが口にする "児童ポルノ" とは何を指しているのか、より具体的に考えてみよう。 とはいえこれも答えは簡単だ。 ようは彼・彼女らにとって好ましくない物、嫌悪感を感じる物が児童ポルノなのである。 だから伊藤弁護士のような人間の主張を正しく翻訳するとこうなる。
「秋葉原には、今でも私が嫌悪感を感じるマンガやアニメやアイドルのDVDが溢れている。 私にとって目障りなメイドカフェの店員らがビラを配る姿も目に入る。 だから早くこれらを児童ポルノや児童買春という事にしてしまって、この世から消し去りたい」
こうでも解釈しなければ、存在しない児童ポルノを相手に大立ち回りをしている伊藤弁護士らの言動が理解できない。 もし解釈が違うというのであれば、ぜひ正しい答えを教えていただきたい。
これは時々話題になってるな…。あと警察による「狩り」とか。「今の秋葉原には児童ポルノなどなく、また児童買春も見られず、代わりに女性経験のなさそうなオタクをピンポイントで狙う新手の美人局や、背後にカルト宗教がいそうな勧誘の類が溢れています♪」 と、秋葉原の隣町に住んでいる私が言っておく。
BackGuyは日本製品の中国での転売先サイトの価格を比較検索ができるWebサービスです。
ほんとかねこれ…? まあフランクフルト空港の税関で演奏家が高額な楽器を人質 (?) に取られる事案とかもあったしなァ…。 ちょっと性質は違うだろうけど…。フィリピンのマニラ空港(ニノイ・アキノ国際空港)で、渡航者のかばんの中に銃弾が相次いで見つかる事件が発生しています。
空港職員によって手荷物に銃弾を紛れ込まされる手口で、乗客は口止め料を恐喝されており、邦人も被害にあっています。
そのため「フィリピンに旅行する人はかばんをビニールラップで巻くように」と海外掲示板でアドバイスされていました。
確からしいことは、『精製された脂肪、並びに砂糖を使用した食品は、生の食品よりも嗜好性が強い』ということだけ」 ごく当たり前のことだけ。
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東京オリンピック中止で全部解決に一票入れたい。2020年会場問題は、同人誌業界だけの小さな問題ではなく、あらゆる産業の企業活動に2年間に渡り、影響を与える極めて重大な問題なのです。ですから皆さんには、問題を正しく理解していただき意見を発信していただきたいと願います。
蛇足的脚注
- *7-1 : 某外部サイト
- まァ、とある Web コミックサイトなんだけど。 フィード配信してないのと、 ページ更新チェックをかけると、 そのページのメインコンテンツの更新状態ではなく、 ページ内の宣伝バナーや別ページへのリンクなどの変更を拾っちゃって、 コンテンツの更新タイミングがぜんぜん分からんので。
2015-11-22 (Sun)
そういえば 10年以上前に音楽系のショップのメルマガをいくつか登録してたけど、 サービス終了とかいろいろでいつの間にか届かなくなっていたものがあったかも…。 とふと思い立ち、ユニバーサルミュージックストアの沿革を見てみると、東芝EMI という字面が。 確かに以前、東芝EMI 系のサイトにユーザ登録したことがあった。 そこの通販でしか買えない CD があったのか、安く買える CD があったのか、理由はうろ覚えだが…。 しかしその後特に会員登録をどうこうした記憶もないまま、 いつの間にかメールが届かなくなっていたかも知れない。 で、ユニバーサルミュージックストアに東芝EMI の会員情報 (つーかメールアドレス) でログインし (さすがに旧サイトのパスワードは無効になっていて再発行が必要だったが)、 メルマガ配信を解除し、…しかしもうここから直接 CD を購入することもたぶんないな、と思って、 ついでに退会手続きも済ませた。 これでナゾの spam メルマガともおサラバだな。
で、後からメールログのアーカイブを探してみたら、 2年前の 8月にサービス移行する旨の連絡がちゃんと来ていた。 しかし基本的に最近は DM やメルマガの類は受信するだけして中身はほぼ読んでなかったりして、 ぜんぜん気づかずにスルーしてたんだった…。 ちゃんと読まないとダメよね。 そもそも用もないのにあっちゃこっちゃの DM 購読しっぱなしなのもあんましよくないかもしれない。 しかしなぜ、サービス移行から 2年もたって突然、 旧登録ユーザ宛にメルマガを (何の案内も説明もなく) 配信し始めたりしたんだろうなァ…。 それは結局分からずじまいだったな。
その後百均で糸通しを買ってきた。3つセットで 108円税込。 安いやん! あと針穴に通しやすい太さの (細口の) 糸もついでに買ってきた。 で、テキトー極まる縫い方で袖口を繕い直した。またすぐほつれそうだが、またほつれたらまた縫えばええだ。
この室内用防寒着は、元々はゴアテックスかなんかの 3シーズン用コートの、取り外し可能な厚手のアクリル製インナーで、 袖口には上着側に留めるためのホック (スナップ) がついており、 これがキーボードを打つ際にちょうど机と手首の間の位置に来て当たってて痛いので、 ホック部分をむしって取っちゃって、ついでに袖口にゴムを通せるように折って縫い留めたんであった。 元々袖口にゴムで絞る的な機能はなくて、 開いた袖口から体温が逃げちゃって防寒性がいまいちだったんで、 最初の頃はゴムひもで輪っかを作って上から巻いて袖口を絞っていたんだが、 袖をまくったり脱ぎ着したりする度につけ外したり位置を直すのがわずらわしくなってきたので、 まあ袖口に直接ゴム通しちゃえばいいか、という発想で。 一般的にはこういう場合、布の端が出ないよう 2回とか 3回折って縫うんだろうけど、 そんなのはお構いなしでゴム紐が通せる程度の幅に内側に 1回折ってテケトーにかがっておしまい。 待ち針もミシンもないし、袖口はホックむしった副作用でヘロヘロの不揃いなままだし、 そもそも綺麗に縫える技量もないしな。
集会室のようなところで、十数人ほどが座って、歌を歌って…というか歌わされていて。 歌詞カードのような小冊子のようなものを配られて、 それを見ながら歌うんだけど、みんななんとなくとまどっていてあんまし声が出てない。 で歌詞カードを見ると、「ひとつでたほいの よさほいのほい」という。 実はオリジナルは昔の早稲田大学で歌いつがれてきた学生歌で、 歌詞の内容は、権力には反旗を翻すけどお互いに相手をリスペクトして“粋”は通じるよ、的な雰囲気の。 へえぇ~そうだったんだー。 と変に感心してるうちに目が覚めたという。
目が覚めてからよく考えると、ヨサホイ節って猥歌だったよな~。 と思いつつも Wikipedia あたりで調べてみたら、 ホントの大元は猥歌ではなく、 大正時代に歌い始められ広まった後にいろんな替え歌が出てきて、 猥歌のバージョンが生き残ってる、的な変遷があるらしい。 そしてかつて替え歌のバリエーションとして「
早稲田大学遠漕歌 - 昭和初期」なんてのがあったらしい。 なんと。 まあ歌詞の内容は夢で見たのとは全然違うんだが、 奇しくも昔の時代で早稲田大学ってところまで偶然に一致していて、 なんだかちょっとヘンな、トクしたような (なんでやねん) 気分。 ま~、それだけの話なんだけど。
ちなみに VoLTE で最大速度が出せた場合、音声の周波数帯域は 50~7000Hz 程度になるらしい。 今後 VoLTE が普及すれば、携帯電話相手の通話で言ってることが (お互いに) もっと聞き取りやすくなるかな? はよう普及するとええな。
うげげ…。アルツハイマーだけでなく,パーキンソン病もALSも多系統萎縮症もピック病も,みんなタンパク質が間違った形に折りたたまれる(ミスフォールディング)ことと,それに続く凝集体の形成が根本にある.そして,その立体形状(あるいは凝集体の形状)は,自己触媒的に脳内,さらに体内を伝搬していく.
これを受けて、「アウン・サン・スー・チーも独裁者になったのか」という声が聞こえるが、そう判断するのは少し早計であろう。なぜなら、それなりに公正に運用された民主的選挙で選ばれた政党の党首であるアウン・サン・スー・チーが大統領になれないことが、そもそもおかしいからだ。
アウン・サン・スー・チー氏が率いる National League for Democracy (国民民主連盟) はほぼ全議席を獲得したが、以下に引用するミャンマー憲法第59条6項によって、アウン・サン・スー・チー氏を大統領として選出することが憲法上できなくなっている。
これは2008年の憲法改正によって付け加えられた条項であり、事実上アウン・サン・スー・チー氏を大統領に選出することを防ぐために導入されたものである。
憲法改正を行うためには、議会の75%の賛成を得る必要がある。しかし、議会両院において、定数のうち25%が自動的に憲法上軍人議員にあてがわれる制度になっているのである。
国軍はこの憲法改正を行う際、アウン・サン・スー・チー氏が権力を握り改正を行うことが最大限難しくなるように制度を設計したとみられる。(全くクソみたいな話だが)このような状況において、制度の枠組みの中で政権運営を行うためには、大統領は別に立てたうえで、実際の決定はアウン・サン・スー・チー氏が行っていくということが必要になってくるのである─国民はアウン・サン・スー・チー氏に国政を任せることを民主的な選挙において表明したのだから。それは独裁とは異なるようにわたしには思われる。
日本は、昔からずっと、所得格差是正 (貧困対策、再分配) を本気でやらない。
ほ~。10年以上前にすっぱり止めたんですが、禁断症状で苦しんでいるときに、ふと短くなった鉛筆(鉛筆派です)を口にくわえて、小さな消しゴムをライターにみたてて火をつけるふりをして、おもいっきり吸い込むと、禁断症状がすーーっとラクになりました。
あ、こんなんでええんや。これぜんぜんタバコのかわりになるわ。
そのあとしばらく、ずっと消しゴムで鉛筆に火をつける真似をしてすぱすぱ吸っておりました。すぐ禁煙できた。
「算数教育ワールド」(仮称)内部で独特の「伝言ゲーム」が数十年間に渡って展開され、独特のアナザーワールドができあがっている感じ。この事実は一般にはほとんど知られていない。」「
実は算数教育はトンデモの宝庫。次から次へとなんぼでもざっくざく出て来る。しかもトンデモが、『相対性理論は間違っていた』の類の本の著者が書いたものではなく、教科書やその教師用指導書や算数教育の論文などで見つかったりする。社会的に「権威」を持っている側がトンデモ化している。」
いやもう気違い沙汰だわこれ。ひでえもんだ…。なんでここまでヒドい有り様になっちゃったんだろ…? コメント欄の“擁護派”のレベルも相変わらずだし…。ぜんぜん進歩なし…。
もしこんな異常な教育を熱心にやるような先生だったら、 保護者から信頼されない → 子供達もみくびる → 学級崩壊、が仮に起きても同情の余地はないと思ってしまうな…。
なんだろうねこういうの。茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で、県教育委員が障害児らが通う特別支援学校を視察した経験を話すなかで、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」と発言した。
発言したのは、今年4月に教育委員に就任した東京・銀座の日動画廊副社長、長谷川智恵子氏(71)。発言を受け、橋本昌知事は会議で「医療が発達してきている。ただ、堕胎がいいかは倫理の問題」と述べた。長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。
会議後の取材に、長谷川氏は出生前診断の是非などについて「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい」などと話した。
橋本知事は取材に「事実を知って産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」とし、長谷川氏の発言に「問題はない」と話した。(酒本友紀子)
その後結局、謝罪、辞任、となった…。
京都府警は、今も狂気な逮捕をくり返している。検察や京都地裁も相変わらずである。
2015-11-30 (Mon)
30日に死去した漫画家・水木しげるさんは、妖怪や戦争を描いた作品だけでなく、天衣無縫の人柄でも慕われた。その「大往生」を多くの人が悼んだ。
東京・京王線調布駅近くの事務所には30日昼から旧知の編集者らが訪れた。ファンの花束や弔電も届けられた。柳田国男の「遠野物語」漫画化などを担当した元中央公論社社長の嶋中行雄さん(69)は訃報(ふほう)をテレビのテロップで知り、駆けつけた。水木さんとは1980年代に「ゲゲゲの鬼太郎」の愛蔵版を担当してからのつきあい。自らの体験から戦争のつらさや悲惨さを語っていたといい、「死体が川を流れてきたことや、ワニがそれをかじっていた話など、九死に一生を得て帰ってきたとおっしゃっていた」と振り返った。
過酷な体験にもかかわらず、好奇心の強さと天性の明るさは変わらなかったようだ。水木さんの評伝を執筆したノンフィクション作家の足立倫行(のりゆき)さん(67)は、文化人類学から人間の深層心理、哲学まで縦横に語る博識ぶりに舌を巻いたという。「戦場の悲惨な体験も笑いながら語っていた。『ゲゲゲの鬼太郎』で一番好きなキャラクターを尋ねると『ねずみ男』を挙げた。いつも人間や鬼太郎をだましながらも、何もなかったように平然と姿を現す。戦争の不条理を通じて人間の裏にある本質を見抜いていたのだと思います」
評論家の呉智英(くれともふさ)さん(69)は70年代、シナリオスタッフとして漫画の構想を練って月に1回くらい届けていた。「とても愉快でユーモアのある人で、漫画の10倍面白い人だった。食欲と睡眠欲をなにより大切にする人で、締め切り直前以外はアシスタントも夕方には仕事を切り上げていた。紙芝居から貸本、雑誌と、すべての漫画メディアで描いてきた貴重な人物。幸せな人生だったと思う」
漫画家つげ義春さん(78)は若い頃の5、6年間、アシスタントをしていた。5、6年前に地元の神社で会ったのが最後だったという。「水木さんがいきなり『つまらんでしょ?』とおっしゃったので、私も『つまらんです』と答えた。すると『やっぱり!』。あれだけの成功を収めたにもかかわらず、人生に思い残すこととか物足りなく感じていることがあったのかなと思った。印象に残った会話です」
妖怪の研究で知られる小松和彦・国際日本文化研究センター所長は、水木さんとは30年ほどの付き合い。「水木さんの膨大な妖怪画がなかったら、日本の妖怪研究がこんなに発展することはなかっただろう」。江戸時代の妖怪画の伝統を継承し、現代の新しい妖怪文化をつくる上で重要な役割を果たしたと考えている。「かわいらしさがあり、郷愁を呼び覚ました」。水木さんが自ら集めた妖怪の人形や資料に囲まれて幸せそうにしていた姿が印象に残る。「もっと長生きしてほしかった。残念です」
妖怪研究で水木さんに師事してきた作家の荒俣宏さんは文書でコメントを寄せた。「むかしは百年生きれば器物も動物も妖怪になれました。水木しげる先生の『百歳の祝い』がまもなく実現することを、私は信じて疑いませんでした。ご冥福をお祈りします。明治以後忘れ去られた日本文化の根源、異なるものとの和(なご)やかなお付き合い、をみずから実践し、妖怪を次の文化資源として復活させた偉人。これほど大きくて、これほど楽しくて、しかも大天狗のように賢明だった日本人は、もはや出現しないと思います」
アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」で何度も鬼太郎を演じた声優の野沢雅子さんは、所属事務所を通じてコメントを発表した。「気取らず生まれっぱなしのような純粋な方でした。いろんなところにいらっしゃるのがお好きでしたから、今もきっと旅に出られたんだろうなと思っています」
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で水木しげるさん役を演じた俳優・向井理(おさむ)さん(33)は水木さんと妻の布枝さんに会ったことがある。「お二人の醸し出す雰囲気が大好きで、憧れでした。今はただ、大好きなしげるさんのご冥福をお祈り致します」
水木さんが少年時代を過ごした鳥取県境港市には、両親らが眠る菩提(ぼだい)寺「正福寺」がある。本堂には少年の頃、異界に興味を持つきっかけとなった「六道絵 地獄極楽絵」が掲げられ、境内には傘寿の記念で2002年2月に設置された水木さんの像も。
13代目住職の永井光明(こうめい)さん(54)は、水木さんの業績について「これからも輝きを放ち続けるのでは」と言う。
アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のシリーズ第4作で主題歌を演奏した「憂歌団」のギタリスト内田勘太郎さん(61)は「妖怪のように120歳まで生きてくれると思っていたのに、残念です」と話した。
小学生のころから近所の貸本屋で水木さんの作品を読んでいたといい、主題歌の演奏依頼がきたときは「それはもう、うれしかったですよ」と話す。
第4作では憂歌団のオリジナル曲も使われた。普段はあまり作詞をしない内田さんが、「このときだけは『俺が、俺が』で書かせてもらいました」。鳥取県境港市で開かれた催しの打ち上げで、水木さんに「あの歌詞は君か。(アニメの意図が)よくわかっとるな」と褒められたのが忘れられない。「今はただ『ありがとう』と伝えたいです」
「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家の水木しげるさんが亡くなったことについて、水木さんの妻、武良布枝さんら家族が、1日午前、会社のホームページでコメントを発表しました。
「水木しげるの家族から皆様へ」と題されたコメントは、次のとおりです。
「お父ちゃんが亡くなる」
信じられないことでした。
「100歳まではいくようだネ、いや120歳かな」と水木はいつも話していました。
これからも淡々と歳を重ねていつの間にか100歳を迎える、今後もずっと同じような日々が続いていく、と思っていました。昨年暮れに心筋梗塞で倒れ2か月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。
すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。
家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。
食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。
自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたが
これも神様が決めたことだったのかも知れません。家族を一番大切に思ってくれたお父ちゃん。これからもきっと見守っていてくれると思います。
今は、亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれないですね。最後になりましたが、ファンの皆様、関係者の皆様、
長い間、水木を応援していただきまして、ありがとうございました。
「闇のキャンディーズ=報道部長」氏が、常識はずれの罵詈雑言を吐き散らしたのは、基本的には、本人の個性のしからしむるところではあるのだろう。ただ、彼がああいう言葉を使ったのは、彼がそういう場所にいたからでもある。
「そういう場所」というのはつまり「ヘイトの現場」だ。彼は、最高度に強い言葉を使わないと敵に対抗できないバトルフィールドに身をおいていた。
ヘイトスピーチを私的に「しばく」行動には、当然、副作用がある。
副作用は、「敵に似てくる」という形で、彼らの内心をむしばむ。
その副作用が、彼にあの暴言を吐かせたのではなかろうか、と私は思っている。半月ほど前に、人種差別的なイラスト集を書籍化したことで知られるさる女性イラストレーターのフェイスブックページに「いいね!」を押した人々の個人情報をリスト化して公開した匿名の人物が、逆に本人の個人情報を暴露され、その結果、勤務していた外資系セキュリティー企業を退職するに至った事件があった。
今回の報道部長氏は、この時のセキュリティー企業の元社員と、同じ組織で反ヘイト活動に従事している仲間だった。
二つの事件には通底するものがある。
それは、彼らがやらかした「事件」が、単なる腹立ちまぎれの暴言や、未熟さゆえのやり過ぎではなくて、ある「正義」に依拠した確信犯的な行動だったということだ。
彼らの仲間(「しばき隊」と呼ばれている)の活動を全否定するつもりはない。
ただ、「ヘイトスピーチを繰り返すクズのような連中には、それにふさわしい粗暴な言葉や物理的な圧力を加えてもかまわない」という前提は、ほんのちょっとした行き違いで問題を引き起こすと思っている。
反ヘイト運動の前提は、構造としては「対テロ戦争」の話によく似ている。
いずれも「許せない人間に対しては暴力が許される」という論理がドライブしている。「無抵抗の無辜の市民を無差別に殺戮するテロリストに対しては、空爆こそがふさわしい」
という理屈と、
「社会的弱者を差別し圧迫するデモを展開する反社会的な集団には、実力行使を辞さないカウンターデモをぶつけてその活動を阻止しなければならない」
という言い分が似ている、だけではない。
いずれも、通常の法律的な手続きを超えた、「超法規的」な措置を志向している点において、まったく同じ種類の思考なのだ。
「超法規的な正義の発動」は、実は、対テロや、対ヘイトに限った話ではなくて、昔から、人気の高い大衆演劇コンテンツだった。
韓国の朴裕河(パクユハ)・世宗大教授が出版した旧日本軍の慰安婦問題についての著書「帝国の慰安婦」(韓国版)を巡り、ソウル東部地方検察庁が18日、朴教授を元慰安婦に対する名誉毀損(きそん)の罪で在宅起訴した。検察や韓国社会の反応をどう受け止めているのか。朴教授の考えを聞いた。
戦争を経験していない人々が、観念的に歴史を解釈し、自己存在の証明に使う傾向がある。そうした傾向から抜け出し、真の当事者主義で歴史を見る必要がある。
米国はまだこれができるからな…。太平洋戦争中の日系アメリカ人に対する強制収容の違法性を訴え続けた日系人のミノル・ヤスイ氏に、アメリカ政府から一般市民としては最高位となる勲章が贈られ、オバマ大統領からヤスイ氏の家族に直接、手渡されました。
日系2世のミノル・ヤスイ氏は、太平洋戦争中におよそ12万人の日系アメリカ人が強制収容所に送り込まれるなど厳しい対応を受けるなか、日系アメリカ人に対する夜間外出禁止令に抗議して投獄され、その後、強制収容所にも入れられました。ヤスイ氏は、戦後、強制収容の違法性を訴え続け、1986年に亡くなりましたが、アメリカ政府は「民主主義の理念を擁護してきた」として、一般市民としては最高位となる「大統領自由勲章」を授与することになりました。
24日にホワイトハウスで行われた授賞式で、オバマ大統領は「平等と正義のために闘い続けた。ヤスイ氏の遺産は、アメリカの良心に訴える、かつてなく重要なものとなっている」とその功績を称え、ヤスイ氏の娘、ローリエさんに勲章を手渡しました。
アメリカ政府は、1988年に強制収容が人権侵害だったと公式に認め、戦後70年のことし、アメリカで強制収容された経験をもつ日系アメリカ人が差別に苦しめられた体験を次の世代に語り継いでいこうとする行事なども開かれています。
蛇足的脚注
- *30-1 : 日記の日付と本文を DL の DT と DD にしている理由
- 多くのブラウザのデフォルトで割と見易く表示されることと、 DL の仕様にかなった利用の仕方であること。 だいぶ以前だが、コピペで広まっていた (らしい) DL の硬直した使用例を鵜呑みにした奴に、 DL (DT、DD) は辞書的な記述専用だから日記の日付と本文にこれを使うのはおかしい、 的にケンカ売られた (?) ことがあったんで。 W3C のサイトでも当時 DL を小見出しと本文に使っている例があるのを示したんだが自説曲げずじまい。 いや示そうとして結局示さなかったんだったかな? ちょっと忘れた。 DL 以外に変えようかなあ…と思うたびにそのことを思い出してムカついてやっぱり変えるのヤメとこ、と思うのであった。 我ながら執念深い。 なお彼はその後 HTML の仕様についての本を執筆したらしい。 そんな本は個人的にはコワくてちょっと参考にしたくないわ… (まあ読んでないしとっくに絶版だけど)。