屈折矯正手術 (あるPRKのケース)
(2010.7: 一応、一段落ということで。今後もちょくちょく追記や修正はするかも。
昔書いた分と最近書いた分とで文体がヘンに不統一だったりしますが悪しからず)
1998年8月に、屈折矯正手術を受けました。
屈折矯正手術とはようするに、近視や遠視や乱視を治す手術です。基本的には、角膜の曲がり方や厚みを変える手術になりますが、その術式にはいくつか種類があります。私が手術を受けた病院では、以下の 3通りの手術を行なっていました (当時。その後、改良術式もいろいろ登場している模様…)。ちなみに以下の説明は詳細を端折っていますので、正確には参考サイトや参考文献を参照してください。参考サイトには、綺麗な写真や図入りで詳しく分かりやすい説明があります。 (たぶん)
その後屈折矯正手術もすっかり市民権を得た感があり、特に LASIK が主流となって、
このコンテンツをさらしておく意味ももうなくなったような気がするけど、
まァ記念ということで…消さずに残すだけ残しておきやす。
- RK (Refractive Keratotomy, Radial Keratotomy)
- 当初はたぶん一番 (ほとんどの場合不正確に) 知られて
いるいた術式と思います。ダイヤモンドメスで角膜表面に溝を刻むと、溝を切った部分が眼圧で膨らみ、角膜の曲率が変化した状態になります。この状態で傷が治ると角膜はその曲率で固定されるわけです。旧ソ連で行なわれていたものに改良を加えた方式が米国で盛んになってすでにン十年の実績がある、というのは本を読むまで知りませんでした。
- PRK (Photorefractive Keratotomy)
- 私が手術を受けたのがこの方式でした。角膜表面をレーザーで焼きとばす形で削り、焦点距離 (曲率?) を変化させる方式。ホントは RK を受けたかったんですが、先生に PRK を勧められたので迷った末にこっちに決めました。しかし
実は 1年たった現在では間もなく LASIK の方が主流になっちゃってるらしいですなっちゃいました。ちょっとダマされた気分…(^^; ちなみに、この 3通りの術式の中では一番「痛い」術式でございました。 (痛みについては後述。ちなみにどの術式も、手術中は「全然」痛くありません)
- LASIK (Laser in situ Keratomileusis)
- 基本的にレーザーで角膜を削るのは PRK と同じですが、違うのは表面ではなく角膜を薄くそいでめくって中を削り、削り終わったらめくった部分をかぶせる、という手間をかけるところ。詳しくは参考サイトに書いてありますが、角膜表面にはボーマン膜という機能不明の薄い膜があり、 PRK ではこの膜がなくなってしまうのですが、 LASIK ではボーマン膜は保存されるのです。ボーマン膜の消失による影響というのはまだ分かっていないらしいです。うひょひょ〜。
参考サイト
オマケ:
一時、「錦糸眼科 失明」などの語で検索サイトからたどってくる人が結構いたみたいで、
何か悪い噂でも流れてんのかしら…と思っていたんだが、こんな事件 (デマばらまき) があったんですな。
(2005-12-25追記)
手術は痛くないのか、とか、失敗例はないのか、とか、いくらくらいかかるのか、とか、具体的にどう申し込めばいいのか、とか、もっと詳しく教えろ、とかについては、上記サイトなどを直接どうぞ。私は錦糸眼科の先生の説明である程度納得できたので、手術を受ける決心がつきました。
(ちなみに基本的に病院に行くのはどっちかつーとキライなたちで、今歯がガタガタなんですが歯医者に全然行ってません。決して「医者が好き」だから手術受けたんじゃないです…念のため…っていうか行けよ歯医者>ワシ)
追記 : 2000年 8月
とりあえず、 2年たちました。たま〜に、知合いから「手術の後、どうですか?」と聞かれることがあります。返事は「全然問題ないですよ」です。手術後状態が安定して (変化がなくなって) きたかな?と思ったのは半年くらいたってからでした。確かにお医者の言ったとおりでした。その後は状態はほとんど変化してないようです。メガネ (やコンタクト) がなくても生活できるのは便利だな〜、と時々感じます。今のところ、手術費用の元は充分以上に取れてるな、と思ってます。
ただ、元々用心深い発想をする奴なので、今後何十年もたって何か手術による悪影響がひょっとして出ないとも言いきれない、その覚悟 (とまでは行かないが心の準備?) はしておこう、という気持ちもあります (特に、受けた術式が PRK だったので。あァ、 RK か LASIK で受けたかったなァ…)。おそらく、失明だのなんだのなんてことにはまず成らんでしょうが、治療などで余計な出費を強いられることに、万一ならんとも限らないかな、という感じです。まァ大丈夫でしょうけどね。
追記 : 2001年 9月
3年たちました。状況は特に変わらず。
3ヶ月 / 6ヶ月検診すっぽかしちゃったし、 3年目だし、一度くらい検査してもらいに行こうかな〜などと思ってるうちに引っ越し騒ぎ (騒いでたのはオレだけ) やらなんやらで 9月に入ってしまった。
追記 : 2004年 7月
えーと、何年たったんだ?
ぼちぼち 6年目か…。
相変わらず毎日毎日ほぼまる一日至近距離の CRT とにらめっこの日々なので、
右目はだいぶ、いわゆる“視力”が落ちてきた感じ。
(まったく調べていないが 0.8 とか 1.0 とかそんなくらいの感じ…?)
しかしその方が毎日 CRT とにらめっこするには好都合だったりする。
どうやら普段、
近くを見る時は主に右目を、遠くを見る時は主に左目を使っているみたいで、
左目は相変わらず遠くも割とクッキリよく見える。
(晴れた日中ならテキメン。暗いと微妙にコントラストが落ちる気がする。
あとどうしてもハロがちょっぴり出ますな。
気にしなきゃ気にならない程度だけど。万年疲れ目)
むしろ左目は遠視っつーか老眼っつーか、至近距離はやや見づらい状態のままです。
その後、検査などは受けてはいないが、
特に自覚症状を伴うような異常は全くなし。
ところで久々に Web をあちこちさまよって見てみると、
最近ではまた手術 (機械や方法) が進んだみたいですねえ。
ここに書き散らしていることも、結局未完成なまま古い情報と化しつつある…。
しかし「従来の方式」のデメリットと「新しい方式」のメリットを対比している説明を見ると、
深夜の通販番組の「改良型新製品」の説明をちょっと連想しちゃったりして…。
(そんなデメリット初めて聞いたかも…昨日までの説明はなんだったんだ…。みたいな)
まァ技術の進歩自体は素直に歓迎、ですが。
あとは料金的にもっと安くなるといいんですけどね。
料金で二の足を踏む人もけっこういそうな気がするので…。
追記 : 2010年 7月
あれからぼちぼち 12年。
古いメモが出てきたので、反映させつつ追記。
これでたぶん、書けそうなことはひととおり反映済にできたと思う。
細かい修正やら追記は今後も随時。
最近ではいわゆる老眼が進み、老眼鏡がないと細かい字などがかなり読みづらくなってきた。
ちっちゃい字など場合によってはぜんぜん読めないことも。
そんな時は別途拡大鏡 (百均で購入) も併用。テクノロジーばんざい。
まあまあ年相応な状態だが、ピント範囲を遠距離向けに調整済なので余計に見づらくなっているフシはあるかも。
よく、近視の人は老眼になる (というより、老眼で不便を感じる) のが遅い、というが、
実弟は強度の近視で眼鏡着用者だが老眼も進んできてしまって、
遠くも見えないし近くも見づらいんで大変、
と先日言っていた。
まァそういうもんなのかも。
メモ
- 知ったきっかけ
- 昔、 TV のニュースかなんかで、そういう手術をロシア (旧ソ連) の方でやってるらしい、というのを見聞きしたことがあった。ロシアでやってることだからきっとアヤしい手術に違いない、大体、眼に悪影響はないんだろうか、きっと患者は半ば人体実験の被験体みたいに使われてんだろう…という極めてウサンくさい印象 (半分以上推測) のみ記憶にとどまる。
- 97年暮、たまたま乗ったタクシー内の宣伝用パンフで、上記「錦糸医院」 (当時の名称? 現在は「錦糸眼科」) を知る。ロシアだけじゃなく米国 (あの訴訟大国の) で普通に行なわれていたり (保険も適用されていたり)、日本国内でも行なわれているような手術だったら、そんなにアヤしくもないんじゃないのか?と関心を持つ。
- 調査
- インターネットで検索 ... Yahoo JAPAN、goo、Infoseek など。キーワードは、パンフに載ってた RK、PRK、LASIK など。
- 今試しに検索をかけると、 2年前よりかなりあちこちで情報を拾える。手術を手がけたりインターネット上で宣伝したりしている医院も増えたみたいだ。サイトによって言ってることが結構まちまちなのは面白い。 (2年前もそうだったけど) 自分のところの術式は全く安全で、他は問題だらけ、みたいな宣伝をしているところはあまり信用できないですなァ…。
- 屈折矯正手術を受けた人のサイトから情報収集。 (しかし積極的に宣伝している人はあまり見当たらず)
- 屈折矯正手術を行なっている医院のサイトを端からチェック。
- パンフ発行元の「錦糸医院」のスキル推測。(^^
- 錦糸医院院長矢作徹氏の著書購入、手術の詳細についていろいろとチェック。
- 受けてみようと思った理由 ...
- 角膜だか結膜だかが弱いので、コンタクトは選択肢外だった。(試したことはない…が手術後数日着用していた保護用コンタクトはけっこう目がゴロゴロして鬱陶しかった)
- 雨の日、チャリに乗るのにメガネだと不便! 裸眼なら雨の日でも大丈夫! (雨の日にチャリで走るなって)
- RK は熟練した医師の腕が必要で、逆に経験を積んだ医師の手術の跡は非常にキレイなのだった。手術跡の写真を見てウットリ。というわけで技術者のワザを自分の目に (文字通り) 刻みつけたい、という気持ちが。
- 資金蓄積
- まだ数年前のプー時代の赤字 (借金) が返し終えるかどうか、といった頃で、費用をためる必要があった。いざとなったらプー時代みたいに銀行のカードローンに食い込んでもいいかな、と思いつつ、半年以上かけて地道に蓄積。余談だが、食費を削り気味にしていたせいで、この期間ちょっとだけ痩せた。 (その後リバウンド…)
- 1998.7 申込み
- 怪我や病気でも手術なんてしたことなかったのに、自分から目の手術の申し込みなんて…とドキドキしつつ電話で初診の予約をする。夏は (長期休暇が取りやすい関係で) 予約が多く、混むとのこと。それでも2〜3週間後には予約が取れたと思う。 (もう忘れた)
- 同 初診 (検査)
- 検査費用は約 2万円 (当時) だったと思う。
- 視力、乱視、角膜表面の形状計測 (トポグラフィ)、眼圧、ピントがあう距離 (遠地点、近地点) の測定などなど。具体的 (正確) な内容は忘れた。
- 希望はRK、勧められたのはPRK
- 検査の後、しば〜〜らく待って問診。部屋に入るといきなり「これあげますのでよかったら読んでね」と著書 (購入済だった本) を渡された。手術を受けようと思った動機のひとつが「職人技を目に刻みつけたい」だったので、 RK を秘かに希望していたのだが、角膜の曲率半径が小さいのと眼圧が高めなので、 RK だと昼夜で視力が変動しやすくなる可能性が高いから、 RK でも手術できないことはないけど PRK を勧めるよ、と言われ (理由はウロ覚えだが確かそんなことだったと思う)、迷う。 RK の原理を説明するのにゴムのボールを半切りにして切れ目を入れたモデル (手作り) を使ったり、手術の様子のビデオを見せてくれたり、楽しい (?) ひとときだった。
- 予約
- RK と PRK とどっちにするか悩んだが、おススメということなので自分の希望はおいて、 PRK で受けることに。その後 2年かそこらで LASIK が一般的になるとは思ってなかったなァ…。検査から帰宅して数日後、電話で予約を入れる。「手術の日までに用意するもの」リストの中にサングラスがあり、どこでどんなものを買えばいいのか悩む。
- 1998.8初旬 手術
:このへんはもうすっかり記憶が揮発しているので、一部うろ覚えで。メモは残っていたけど正確である保証もないので。注意。 (2010.7追記)
- 直前検査
- 10時に病院入り、順番待ち。角膜曲率の検査と視力検査、あと診察。全部で 1時間ほど。
- その日手術を受ける予定の人は全部で 10人弱くらいだったろうか。
- 手術
- 検査が午前中に終わり、手術は午後 1時半以降だったので近場へ昼飯を食いにさまよい出る。テキトーな食堂に入って何か食べたがあまりのどを通らず。
- 病院に戻ると、顔を石鹸 (洗顔料) でよく洗ってから待つよう指示される。指示どおりに洗面所で洗顔し、待合室で待機。細長い待合室の長椅子の正面に細長く巨大な水槽があって、アロワナ (たぶん) などのでかい魚が数匹ゆったり泳いでいるのを眺めたりしつつ、ひたすら待つ。
- 名前を呼ばれて診察室へ。手術用の上っ張りのようなものを着せられ、頭に給食着のキャップのようなものをかぶらされ、目の両脇にガーゼを止められて、さらに 30分ほど待つ。ここで縮瞳剤を点眼された (らしい)。麻酔はいつ点眼されたんだったっけ。
- 名前を呼ばれて診察室の奥の薄暗い手術室へ。
- 腰のあたりに厚いウレタンのスポンジを敷いた手術台に横たわる。
- 手術は左目から。目が閉じないよう開眼器というやつをセットされ、電動ハブラシみたいな器具とヘラのような器具 (たぶん。見えなかった) で角膜上皮細胞をこそげ落とされる。もちろん麻酔が利いているので痛くもかゆくもない。
- レーザのテスト照射の後、フルネームで名前を呼ばれて本人確認される。なるほど、手術する対象者を取り違えるといけないからこういう時はフルネームで本人確認するんだなァ、ということが記憶に残る。
- 頭上 (真上、横たわった状態だと顔の正面) に注視用と思われる緑の光源 (たぶん LED 光) があるが、先生に目玉固定用の器具で目を押さえられた時に左へずれて動いて見えた。視線 (目玉の向き) は自然と光点の方 (左) へ。
- 視線の先に緑の光がない (ずれてる) ことを訴えると、実際の中心ではないところが中心に見えていると説明される (原因も聞かされたと思うがいまひとつ覚えてない)。ちょっとイラッとした調子。別にわざとじゃないんだけど…。では自分で中心と思う方向を見てください、こちらで (機械の方を?) 調整するんで、と言われたが結局調整しきれなかったようで、ではこちらで押さえているんでまかせてください、と言われ、照射開始。
- 「カカカカカカ!」という大きめで連続的な打撃音が聞こえてレーザー照射が始まる。パルスレーザー。とたんに、髪の毛を燃やした時のようなニオイが鼻に入ってきた。角膜表面 (蛋白質) がレーザーで焼かれてるニオイだ。これがホントの目玉焼きだ〜。このフレーズ、手術を受けた患者のうち何割の人の脳裏に浮かんだんだろうな。
- しかしなにもない暗いところに視線を向けて、すぐ隣に目立つ緑の光の点があって、目玉を押さえられて、目玉を動かさないよう言われてもなかなか難しい。照射中、どうも視線が若干さまよってしまったような気がする。現在、左目の方が (ピントの合う距離自体は遠方のままあまり戻ってないが) ややコントラストが甘く、像がダブって見える気配があるのは、どうもこのせいなんじゃないかな〜という気がちょっとするのであった…。確証がある訳ではないけど。
- 照射時間は、ちゃんと計っていた訳ではないが、片目でたぶん十数秒くらいずつだったと思う。
- 照射完了後、チューッと (蒸留水で? いや生理食塩水か) 洗われて、抗生物質を点眼されて、保護用コンタクトを乗せられて左目は完了。
- 左目が終わったら次は右目も同様に。こちらは視線がずれることなく、緑の光点を注視できた。といっても裸眼だし角膜表面を拭われちゃってるんで、やはりボンヤリとしか見えていなかったが。
- 両目とも完了後、診察室へ戻り、目のあたり全体を覆う透明なプラスチックのカバー (保護キャップ) を紙粘着テープ (絆創膏) でベッタリ貼りつけられる。明日の検診の時に外すのでそれまで取らないように、点眼する時だけ下の方のテープを剥がしてめくり、点眼を終えたらまた貼っておくように、とのこと。この格好で今日から明日にかけて病院と自宅の間を電車に乗って一往復するのだ。といっても前もって説明は受けていたんだけど (具体的にどんな格好なのかを事前に見せてもらっていた訳ではなかったが)。翌日の検診まで病院の近くに宿を借りて一泊する人もいるらしい。
- 点眼薬と、その日の飲み薬 (抗生物質と痛み止めだったと思うけど忘れた) をもらって帰宅。
- 帰宅〜:ここもうろ覚え。事実と若干違ってる箇所があるかも。 (2010.7追記)
- 顔の上半分にプラスチックのカバーを紙テープで貼り付けた状態で、夕刻のまだ明るい時間に電車で帰宅。車窓から見える景色は、うっすら涙目とプラスチックカバー越しのせいもあり、手術直後のこともあり、遠くまでクッキリという訳にはいかなかったが、右目も左目も同じくらい遠くまでピントが合うようになったのがちょっとうれしかった (その後戻り具合に差が生じてしまったが)。
- 飯田橋で乗り換える時に改札近くの証明写真ボックスで、プラスチックカバー姿の記念写真を撮影 (当時まだデジカメは持っていなかった)。
- 3種類の点眼薬のうち 1種類が要冷蔵だったが、その頃冷蔵庫を持っておらず、夏の盛りにどうやって保存しようとしばし思案。近所の雑貨屋にクーラーボックスを買いに。目をプラスチックカバーで覆ったヘンな格好だったが事情を説明して手頃なものを 1つ購入。次にコンビニへ寄って氷を購入 (割高)。考えてみると余分な出費をしてしまったが、1回 1万円強の検査を何度もやっていて若干金銭感覚がマヒ気味だったかもしれない。
- その後、毎日氷を買うのはさすがにもったいないので、保冷剤を複数セット買って会社の冷凍庫に入れておき、出社時に入れ替える、という形で冷却させてもらった。要冷蔵目薬使用期間中に結局自宅に冷蔵庫は買わずじまいだった。まァ買っても置く場所なかったけどあの部屋には…。
- その夜は手術無事完了のプチ祝いにパックのお寿司を買ってきて食べ、ややゴロゴロシクシクし始めてきたので (といっても全然たいしたことはなかったが) 大事を取って、もらってきた薬を飲んで早めに就寝。
- 経過
- 翌日検診:ここも若干うろ覚え。ってことで。 (2010.7追記)
- 手術当日、夜中を回った頃。痛みで目が覚める。宇津救命丸大 (仁丹粒大) の異物が 2つ 3つ目の中に入ってゴロゴロしているような感じで、目を開いても痛いし (というか痛くて開けないし) 閉じていても痛い。どないせーっちゅーんじゃ〜とジタバタするがムダな抵抗という。眠っている間 (眠くて朦朧としている時) はいろんな感覚が増幅されがちなので、朝には痛みが引いていることを願いつつひたすら頑張って寝る。
- うとうとしているうちに朝になったが全然治まらない。検査のため 10時までに病院に行かねばならなかったのだが、玄関先で靴を履いた時点で、こんなに痛みで目がろくに開かない (= 視界がまったく確保できない) 状態で外に出るのは無謀、と思い、半ば本能的に引き返して横になってしまう。
- はっと気づいて目を開いたら目が開いた。痛くない。これなら外を歩ける! と思い時計を見ると 11時。病院に電話して、検査を午後にしてもらい (この時点でもう遅刻だけど)、よろよろと外へ出る。
- 起き上がって動いたせいか、表に出た頃には、思わずじたばたするほどではないが痛みがぶり返してきた。目を開ける瞬間が痛いんで目をパッと開けられず、しばらく目玉を動かしてから、おもむろに開ける、痛い、すぐつむる、という試行を繰り返し、痛くなく開けられた瞬間に薄目で外の景色をみながらよろよろと歩き、痛みに耐えかねた時点でつぶる、という要領で、うっすら見える電柱や壁などづたいに歩みをすすめつつ、家から地下鉄の駅まで歩き、電車に乗り、途中乗り換えで歩き、また電車、駅から病院まで歩き、と電車に乗っている間以外は普段の数倍の移動時間をかけつつなんとかかんとか病院にたどりつく。
- 後から思えばタクシーを使えばもっとラクだったのだろうが、手術費用でちょっと無理してしまって当時あんましお金がなかったのもあり、また子供の頃から車酔いする性質で、「車を使う」という選択肢は普段からかなり忘れ去っているのもあり、ついムボウな道を選んでしまった。ところで電車で 40分の距離をタクシー使ってたらいくらぐらいかかったろうな。(4〜6K くらい…?)
- 保護カバーをやっと外してもらい、検査の直前に痛みどめを点眼された瞬間、今までの痛いのがウソのようにすーっと引いた。大袈裟でなく「生き返った」心地とはこのことか、という感じ。
- その日は簡単な視力検査 (たぶん) と、異常がないかの診察 (特に問題なし)、目やににまみれた腫れぼったい涙目状態で (近場は全然ピントが合わず見えない)、少しぶり返してきたシクシク痛みを感じつつ (といっても夜中から朝にかけての目が開くに開けない状態と比べたら全然問題ないレベルではあったが)、精神的な疲弊も若干抱えつつよろよろ帰宅。この日のシンドさがピークだった。
- この後数日感じていたゴロゴロする方の痛みは、おそらく保護用コンタクトに由来するものだと思う。昔からどうも目の中の異物にヨワい気がする。
- うっすら涙目と目やには (目の周りをなるべくいじらないよう言われていたこともあり) 2〜3日続いた。
- 翌々日検診:同じくうろ覚え。(2010.7追記)
- 痛みもだいぶ薄れ、時々ゴロッとする程度。この痛みは先述のとおり、保護用コンタクトのせいも大きかったような気がする。
- 検診は午後から。視力検査と診察をしておしまい。「翌日検診」の時と同じ。
- なお、治療用コンタクトは、今 (2日目) 取ると痛いと思うので明日自分で外してください、と言われる。アカンベをして、親指と人差指でこうつまんで、と先生に仕草を見せられたので、こうですか?とマネして返すと、笑って、コンタクトしたことないんで僕もよくわからない、どうしても取れなかったら明日にでもウチに来て、誰かに取らせるから、と言われた。
- 実際には翌日、自分の目の中に指を突っ込んでつまむ行為が (慣れてないせいで) なかなかできず、コンタクト使用の友人にコツを電話で聞いたりしながら、30分ほどかけてやっと外した。
- 4日後、法事で帰省:特筆事項はまァなし。(2010.7追記)
- 手術することをちゃんと言ってなかったので、実家方面へはこの時いきなりお披露目。いつもの近眼鏡ではなく、ディスカウントストアで買ったヘンなサングラスで現れたので、胡散臭い目で見られる。もちろん目薬達 in クーラーボックスも持参。
- サングラスが目の保護に役立っていたかどうかは不明。この安物のヘンなサングラスは割と気に入って、必要がなくなった頃も時々使っていた (別に似合っていた訳ではない)。
- 手術後 4日目くらいでは近くにほとんど焦点が合わず、カードや PDA (Palm) やパンフやメモの細かい字が全然読めなくてすげえ不便ではあった。それ以外では特に問題なし。
- 甥姪と遊んで暴れたせいで翌日あたりに視界がちょっと荒れた (ハロが出た)。安定するまではなるべく暴れない方がよいらしいことを再認識。
- 1週間後(10日後)検診:同じくうろ覚え。 (2010.7追記)
- 検査は角膜曲率の計測x2、視力の測定とトポグラフィによる角膜表面形状の計測。
- 左目は 8時の方向に割と分かりやすいゴーストが出ていたので、診察の時に聞いてみたが、安定するまではしばらく様子見、とのこと。近距離の見えづらさの解消などもひっくるめて、まァ安定するまで 1〜3ヶ月くらい、と言われた。人によっては半年くらいかかって、ちょっと近視に戻って安定する人もいるとのこと。
- 安定するまでの間、近くを見る時用に +1.25 〜 +1.5D くらいの老眼鏡貸し出しサービスもやっているというので申し込んだら会計の時にお金取られた…。しかも何度も再利用されていて傷だらけな一品。有料ならそう言ってくれればいいのに…。金額は忘れた。そんなに高いことはなかったと思うが…当時はディスカウントショップで数千円くらいのものは売っていたが、まだ 100円ショップで老眼鏡は扱っていなかったんじゃないかと思う。当時百均は利用していなかったのでよくは知らないが。最近 (あれから 12年後) ではさすがに有料貸出ではなく、サービスでくれるみたいだ (未確認)。
- 1ヶ月検診: (2010.7追記)
- 角膜曲率半径計測と、トポグラフィ (角膜表面形状計測)と視力検査。
- 借りていた老眼鏡を返却。当座しのぎ用の老眼鏡は、その後近隣のディスカウントショップで適当なものを探して購入した。
- 診察で、まだちょっと遠視気味かな? と言われる。PRK も (PK と同様)、“戻り”を見越してやや遠視気味になるよう矯正する、ということをこの時点で (やっと) ちゃんと認識できた、ような気がする。
- 目薬を少なめにすると、近視気味に (早めに?) 安定する、とのことで (このへんの説明はちょいとうろ覚え)、2本ずつ出すところを1本ずつにしておきましょう、と 2種類の薬を 1本ずつ処方されて帰る。
- 目薬の点眼はこれら 2本がなくなった時点で終了。
- 3ヶ月検診(1998.11) (仕事忙しかったりで結局行かずじまい)
- 6ヶ月検診(1999.2) (こっちも同上で結局行かずじまい)
- その後ほったらかし…。
- 気がついたこと
- 周囲の人の反応、見方 (当初)
- 手術後。詳しい話を何も聞かないうちから「え〜? 目の手術なんてコワ〜イ。絶対ヤ〜」と拒絶反応を示した人が一人 (やや年配の女性)。「ヤ〜」はいいけどオイラ現に手術受けちゃってるんだけどねぇ。この人は以前もオイラが買ってきた弁当を一目見て「やだー、なんかこれ体に悪そう〜」と言ったことがあった。あと、水道水を飲んでたら「ビルの水道水なんてコワくて飲めな〜い。何が入ってるか分からないでしょー。あー恐い恐い」と眉をひそめて言い放ったりとか。(悪意じゃなく、思ったことをその場ですぐ言っちゃうだけの人なんで、あまり怒る気にはならないんだけど)
- 手術前・恐いねぇ、失明するんじゃないの?等。関心はあるんだけどちょっと費用が高すぎるねぇ、これじゃ受けられないな、等。
- 手術後・目は大丈夫?見えるようになった? なんともない? 等。
- 目薬について
- 手術後、一定期間 (約 3ヶ月間)、少しずつ量を減らしながら、目薬を数種類点眼し続けるんだけど、ステロイドを成分に含んだものが 1種類入っていた。目薬の製品名で検索をかけると、成分や作用、副作用などの情報が拾えます。
- 手術後、しばらくの間は屈折率が徐々に戻っていくんだけど、目薬の量でこれをある程度加減できるらしい。目薬を早くやめると、早く戻りが止まるんだったかな? (う、どっちだか忘れた)
- 右目視野内のゴミ、左目のゴースト
- 手術後、右目の視野内にゴミのような影が浮いて見えて消えなかった。 (今は消えている気配だけど、光の加減にもよるのかもしれない) 手術によるものかどうか不明。よくあるガラス体の濁りの影ってやつ? 手術してピントが合うようになったんで視界に現れたのかも…。また、左目は薄くゴーストのように像がダブって見えていて、これもちょっと気になった。普通の景色では分からないが、明暗のクッキリした、夜中の信号機みたいな景色だとはっきり見える状態。1ヶ月検診でお医者にそのことを言ったが、見え方が安定するまで半年くらいはかかるので、それくらいまで待ってみよう、という話だった。その後、少しずつ影やゴーストは見えなくなるよりも気にならなくなっていく。
- 遠くが見える状態、を忘れて久しかったのだけど、決して「カメラのピントが合う」みたいなドンピシャな解像にはならないんだな、というのを改めて認識した。考えてみれば角膜表面は液体 (涙) で常に濡れてるし、目玉だって固い物質でできている訳じゃなくて、弾力を持った生体な訳だしねぇ。
- 「見え方が安定する」とは、手術後の目の状態そのものが安定するということの他に、脳の視覚処理を司る部分の神経回路網が新しい目の状態に合わせて適応していくことも指すのではないか、という気がする。まさに「人 (動物) は目だけで見ているのではなく、目と脳とで見ている」のだなァ、と思った次第。
- ハロ
- PRK では特に出やすいらしい。夜など暗いところで明かりを見ると、光の周囲に傘がかぶったように光輪が見える。薄い霧のかかった夜などに明かりを見ると周囲にボーッと丸く見えるものとほぼ同じ。手術後しばらくは角膜表面 (の細胞の並び) が平らではないためこのように見えるが、徐々に消えていき、ほとんど気にならなくなる。と説明されていたが、手術後かなりたっても疲れ目状態だと相変わらずちゃんと出る。疲れ目かどうかのチェックにもなってよろしい…こともないか。さすがに、最近ほとんど出なくなってきたように思えていたんだけどやっぱり出る。 (^^; ただ、光輪のサイズは小さくなってきているかも。運転免許を持ってないので分からないが、夜間に対向車のライトがまぶしくて運転しづらいなんてことはないんだろうか。
ちなみに、ハロが出やすいのは PRK で、 RK や LASIK の場合はほとんど出ないらしいです。 (出ても手術後しばらくの間だけ? 断言はできないけど。でも手術の方式を見るとやっぱり PRK が一番角膜表面を傷めそうではある)
- 目の形
- 手術前、どちらも 0.1 以下ながら、左目の方が若干視力は上だった。で、目の形も左目の方が若干大きめ (というか見開き気味) だったのが、手術後しばらくは両目ともほぼ同じ大きさ・形になったような気がする。 (証拠写真とっとけばよかった) よく、失明している人の眼窩ってへこんでいるけど、目って使わないとひょっとして衰えて落ち窪む傾向にあるものなんだろうか?などとふと思った次第。
- 視力の戻り加減の差
- 手術前に悪かった方の視力は、手術後も「戻り」が大きい傾向にあるそうだ。実際、その通りになった。 (手術直後は「これでガチャ目解消だ」とちょっと喜んでたんだけど「ちょっとガチャ目」に戻ってしまった) お医者の言うには、左右の視力に差があるということは元々何らかの理由 (原因) があってそのようになっているんだと思う、だからその原因が残っている以上は手術後も偏りの傾向が残るのは仕方ないのかもしれないとのこと。なるほどねぇ。
- メガネのツルの跡
- メガネを作った時 (17歳だよ) と比べて顔が太ったせいもあるだろうが、メガネのツルの跡が両耳上縁から顔の前方に向かって、ずっと残っていた状態だった。 (ついでに鼻の上のパッドの跡も) この「溝」はもしかしたらもう一生消えないのかなァ…と思っていたが、メガネをかけない生活を数ヶ月以上続けていくうちに、あからさまな溝はどうやら消えたみたいだ。 (まだ少〜し残ってるかもしれないけど…)
- 検査データのコピー (もらってない) :(2010.7追記)
- 看護婦さんにか受付の人にかは忘れたが、1週間検診か 1ヶ月検診の予約の時あたりに、検査データのコピーをもらえないか、と尋ねてみたところ、言下に、それはできませんとの返事。手書きで写し取るのならいいですが (何故!?)、実際のところは先生に直接お尋ねください、とのことだった。
- (ひょっとすると、コピーを取るための院外持ち出しは不可、という意味だったのかもしれないが、そのへんは分からない。もしそういう理由での「手書きなら OK」だったなら、今ならデジカメかハンディスキャナでも持参して複写してくるところだが…)
- で、1ヶ月検診の診察の時、検査データのコピーの話をし忘れる (もしくは“言い出しそびれる”だったかもしれない)。
- 3ヶ月検診の時に改めて聞いてみよう、と思いつつ、結局 1ヶ月検診までしか行けなかったため、検査データの写しはもらわずじまいになってしまった。
- その後、民間の医療保険の適用の話が (11年後に) 判明した時点で、保険会社から病院へ問い合わせたところ、カルテについては既に法律で定められた期間を過ぎて廃棄されているとのことだったらしい。ただし手術を受けた証明書 (?) は発行できるという返事だったらしい (何故、というかどうやって? カルテ以外に手術対象者の個人情報の記録が別途保存されているということなんだろうか。よく分からん)。カルテではなく検査データについては、残っているかどうかは不明だが、まあ今となってはどっちでもいいや。
- 保険適用 (2009年追記)
-
日本では屈折矯正手術に健康保険は適用されないが、
個人で入っている医療保険や生命保険の医療特約では保険金がわずかでも支払われる場合があるので、
問い合わせ・申請してみるとよいかも。
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